2024年の24時間テレビでマラソンランナーも務めたやす子さん。彼女は幼少期から波瀾万丈な人生を歩みながらも、強く生きている素晴らしい芸人さんです。この記事ではそんなやす子さんの生い立ちについて深掘りします。
やす子の生誕と幼少期
やす子の生誕と幼少期は、波瀾万丈な人生の始まりを象徴する時期でした。1998年9月2日、山口県宇部市に生を受けたやす子は、元自衛官の父親と母親のもとに誕生しました。しかし、彼女の人生は生まれてすぐに大きな転機を迎えることになります。
・1998年9月2日、山口県宇部市に生まれる。
・2歳で両親が離婚し、母子家庭で育つ。
・高校時代は児童養護施設で生活。
・高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。2年間ドーザ手として勤務。
・自衛官退官後、清掃員や中学校の用務員として働く。
・2019年9月29日、ピン芸人としてデビュー。
・2021年1月1日、『ぐるナイおもしろ荘2021』に出演し、3位入賞。
・2021年1月から『サンデー・ジャポン』のリポーターを務める。
・2024年1月、『ぐるぐるナインティナイン』の「ゴチになります!25」新メンバーに選出。
・2024年、『24時間テレビ』でチャリティーマラソンランナーを務め、80km超を完走。
現在も即応予備自衛官の身分を保持しながら、芸人として活動中。
わずか2歳の時に両親が離婚し、やす子は実母に引き取られて育つことになりました。この出来事は、彼女の幼少期に大きな影響を与えることとなります。父親との別れは、やす子の心に深い影を落とし、後の人生における様々な選択にも影響を及ぼしていくのです。
母子家庭で育ったやす子の幼少期は、決して平坦なものではありませんでした。経済的に苦しい状況が続き、日々の生活にも困難が伴いました。
この困難な状況は、やす子の精神的な強さを育む一方で、彼女の中に深い孤独感も植え付けていきました。家庭環境の不安定さは、学校生活にも影響を及ぼし、友人関係の構築にも苦労する要因となったのです。
しかし、こうした厳しい環境の中でも、やす子は自分の力で生き抜く術を学んでいきました。例えば、夏休み中には給食がないため、スーパーで安売りされていたパンの耳を大量に買い込んで飢えを凌ぐなど、創意工夫を凝らして困難を乗り越えていったのです。
やす子の幼少期は、後の彼女の人生に大きな影響を与えることになりました。経済的な苦労や家庭環境の変化は、彼女の中に強い精神力と生き抜く力を育てていったのです。
学生時代のやす子
中学時代のやす子は、経済的な困難に直面していました。母子家庭で育った彼女は、部費や家賃の支払いに苦労し、妹と共に給食以外を食べられない日もあったといいます。この厳しい状況は、やす子に創意工夫の精神を育むきっかけとなりました。例えば、給食のない夏休み中には、スーパーで安売りされていたパンの耳を大量に買い込んで飢えを凌ぐなど、困難を乗り越える力を培っていきました。
高校時代に入ると、やす子の生活環境はさらに大きく変化します。児童養護施設での生活を経験し、実母とも会わない日々が続きました。この経験は、彼女の自立心を育む一方で、深い孤独感も植え付けることになりました。
山口県立宇部中央高等学校に通っていたやす子は、学校生活においても困難な状況に直面します。3年間にわたって仲間外れにされ、トイレで弁当を食べたり、休み時間を図書館で過ごしたりする日々が続きました。さらに、保健室登校の経験もあったといいます。これらの経験は、やす子の心に深い傷を残しましたが、同時に彼女の強靭な精神力を育む基盤ともなりました。
しかし、やす子は逆境に負けることなく、自分の興味や才能を見出していきます。高校では柔道部に所属し、身体を鍛えながら精神的な強さも養っていきました。この経験は、後に自衛隊に入隊する際の重要な基盤となります。
学生時代のやす子の夢は、時代とともに変化していきます。小学生の頃は獣医を夢見ていましたが、中学生になると漫画家を目指すようになりました。これらの夢は、彼女の豊かな想像力と創造性を示すものであり、後の芸人としての活動にも生かされることになります。
特筆すべきは、やす子が「日常」という漫画のファンであったことです。この作品への愛着は、後に芸人として活動する際の宣材写真のポーズにも影響を与えています。手のひらを正面に向けるポーズは、「日常」をモチーフにしているとのことです。この事実は、やす子の芸風が学生時代の経験や趣味に深く根ざしていることを示しています。
しかし、家庭の経済状況は依然として厳しく、やす子は高校卒業後に就職を考えざるを得ませんでした。住み込みで働ける場所を探す中で、パチンコ屋か自衛隊しか選択肢がなかったといいます。
キャリアの始まり
高校卒業後、彼女の人生は大きく変わっていきます。
まず、やす子は陸上自衛隊に入隊します。この決断は、高校の部活顧問の勧めや、経済的な理由から住み込みで働ける場所を探した結果でした。興味深いことに、パチンコ屋への応募が不採用だったことも、自衛隊入隊の一因となっています。
自衛隊では、大久保駐屯地の施設科部隊(第4施設団)に配属され、ドーザ手(ブルドーザーオペレーター)として2年間勤務しました。この経験は、やす子に大型特殊免許の取得や、射撃、水泳、柔道(有段者)といった特技を身につけさせました。これらのスキルは、後の芸人活動でも大いに生かされることになります。
自衛官を退官後、東京で半年ほど官公庁などの清掃員として働いた後、中学校の用務員として勤務します。
そんな中、自衛官時代からの友人の誘いでお笑いの世界に足を踏み入れることになり、最初は友人とコンビ「新人類」を結成し、様々な芸能事務所に履歴書を送ります。そして、ソニー・ミュージックアーティスツからの返事を受け、所属が決まる。
その後、やす子は2019年9月29日からピン芸人として本格的に活動を開始します。注目すべきは、芸人として活動しながらも、即応予備自衛官としての立場を維持していることです。この二足のわらじは、やす子の芸風にも大きな影響を与えています。
課題と転機
自衛隊を退官した後、やす子は新たな人生の岐路に立たされました。生活の糧を得るため、まず東京で半年ほど官公庁などの清掃員として働き始めます。その後、中学校の用務員として勤務するようになりましたが、この時期はやす子にとって大きな転換点となりました。
自衛官時代からの友人の誘いがきっかけとなり、やす子はお笑いの世界に足を踏み入れることになります。最初は友人とコンビを組み「新人類」を結成しますが、ここで予期せぬ出来事が起こります。事務所ライブ当日に相方が欠席するという事態に見舞われたのです。
この危機的状況は、やす子の人生における重要な転機となりました。多くの人であれば、その場で芸人を諦めてしまうかもしれません。しかし、やす子は持ち前の忍耐力と即興力を発揮し、わずか1時間ほどでピンネタを作り上げ、ステージに立ちました。この経験が、後のやす子のキャリアを大きく左右することになります。
ピン芸人としての道を選んだやす子は、2019年9月29日から本格的に芸人活動を開始します。しかし、芸能界での活動と並行して、即応予備自衛官としての任務も継続していました。この二足のわらじを履くという選択は、やす子にとって大きな挑戦でした。
芸人としてのキャリアが軌道に乗り始めると、新たな課題が浮上します。テレビやタレントに関する知識が乏しかったやす子は、芸能界の常識や慣習を一から学ぶ必要がありました。しかし、この「知らない」という状態が、逆に新鮮な視点をもたらし、やす子独自の芸風を確立する要因となりました。
2021年1月1日放送の『ぐるナイおもしろ荘2021』での3位入賞は、やす子にとって大きな転機となりました。この成功を機に、テレビ番組への出演機会が増え、知名度も急上昇します。同年1月からは『サンデー・ジャポン』のリポーターを務めるなど、活躍の場を広げていきました。
2024年には、『ぐるぐるナインティナイン』内のコーナー「グルメチキンレース・ゴチになります!25」の新メンバーに選ばれ、ゴールデンタイムのバラエティ番組にレギュラー出演するという大きな転機を迎えます。さらに、同年の『24時間テレビ』でチャリティーマラソンランナーに選出されたことは、やす子の知名度と人気を決定的なものにしました。
しかし、成功の陰には新たな課題も潜んでいました。2024年6月、『週刊文春』で自衛隊時代のパワーハラスメント問題が報じられます。この危機に対し、やす子は素早く真摯な対応を取り、大きなダメージを回避しました。この経験は、芸能人としての危機管理能力を磨く機会となりました。
やす子の人生は、常に課題と向き合い、それを乗り越えることで新たな転機を生み出してきました。貧困や孤独といった厳しい環境を経験しながらも、自衛隊での経験を活かし、独自の芸風を確立。そして、芸能界での成功を収めるまでの道のりは、まさに波瀾万丈そのものでした。
これらの経験は、やす子のキャリアに深みと説得力を与え、多くの人々の共感を呼ぶ存在へと成長させました。今後も、新たな課題と転機に直面することでしょうが、これまでの経験を糧に、さらなる高みを目指していくことが期待されます。